弁護士坪井俊郎の交通事故体験記① ~事故発生当日の出来事~

1 はじめに

平成28年7月30日、沖縄県で交通事故の被害にあいました。

これが事故直後のイラストです(関係者のプライバシー保護のため、写真を一部加工してイラスト風にしています)。

ご覧の通り、横転しています。

死者・重症者が出てもおかしくない損傷状態でしたが、幸いにも死者や骨折等の重症者は一人もいませんでした。

これまで私は交通事故事案を数多く取り扱ってきましたが、まさか私自身が交通事故の被害者になるとは思っていませんでした。

事故にあい、治療をして、後遺障害の認定を受け、保険会社から慰謝料等を受け取るまでの実体験を記載します。

治療のポイントや保険会社とのやり取り等について、少しでも皆様のご参考になれば幸いです。

 

2 事故発生

事故当日、お昼にメンチカツカレーを食べ、その後、知人(以下「Aさん」と言います)が運転する車で沖縄北部に向かいダイビングをするために移動をしていました。

ちょうど昼食が終わった頃から急に激しい雨が降ってきました。
片側2車線の道路で、私が乗っていた車はスコールに打たれながら第1車線(左側の車線)を走行していました。

時刻は13時頃でした。
私が後部座席に座って、そのころちょうど日本配信がスタートした『ボールを投げてモンスターを捕まえる』という有名スマホゲームをしていた時のことです。

急に激しい音と衝撃が右後ろ方向から来ました。

その後、「あー」と言う間に(声は出していませんが)、さらに衝撃が来てから車が停止しました。車が横転して車体側面が地面にぶつかった時の衝撃でした。

右方向から衝撃が来て転倒停止するまでの間、「ぶつけられた!」とは思いましたが、横転に対して身構えたり、手に持っている物を落とさないようにするといった対策を全くとることは出来ず、そんなことを考える余裕もなく、横転しているという認識もなく、気がついたら横転して地面に接している左ドアの上に私の体が落ちていました。
体に痛みはありましたが、身動きが取れないほどの激痛はなかったので、ひとまず骨折はしていないと思い、落ちていたスマホを拾い、脱げていたサンダルを履いてひとまず車外に出ようとしました。
車が横転しているため、私の頭上に位置する右後部の窓を開け這い出るようにして車外に出ました。激しいスコールが降っていましたので、窓を開けた瞬間からずぶ濡れです。

車外に出たところ、車が横転して停止した場所が車道ではなく歩道であることが分かりました。
右側から衝撃を受けて、歩道に乗り上げるようにして横転したのです。

運転していたAさんは既に車外に出ており、他に3,4人の人が近くにいました。加害車両に乗っていた人たちです。その中の一人が私に近づいてきて「大丈夫ですか」か「すみません」といったことを話しかけてきました。
大雨が降り続く中でしたし、加害運転手本人かどうかも分からなかったので、だったので私も「ええ」か「はい」といった一言しか返答しませんでしたが、おそらくその方が加害車両の運転手だと思います。
「思います」というのは、その後、加害者側の人たちと私が話をしたことが一切なかったからです。

事故現場のすぐ近くの家の人が出てきてくれて、雨宿りのためにガレージのようなスペースを貸してくれたので、ひとまずそこに避難しました。
その時だったと思いますが、Aさんが、加害者側の人から聞いた情報として、大雨で加害車両がスリップしてコントロールを失って、私が乗っていた車に衝突したという事故態様を教えてくれました。
それを聞いてすぐに「じゃあ過失割合は100対0だな」と考えてしまったのは職業病だと思います(とはいえ、私は運転手ではなく後部座席にいたのでどのみち過失は0なのですが)。

 

3 救急車で病院へ

そうこうしているうちに救急車が来ました。
Aさんは事故対応をその場でしなければならなかったので、私が先に救急車で近くの病院に運ばれることになりました。
人生初の救急車です。
救急隊員の人からどこが痛いか聞かれたので、「首と右肩が痛い。右手に痺れがある」と答えると、救急隊員が私に頸椎カラー(首に着けるコルセット)を着けました。

救急車に乗り込み、ストレッチャーに横たわり、救急車で運ばれることしばし。
現場近くの比較的大きな病院に搬送されました。

まずは首と右肩のレントゲン撮影。
人生初のレントゲンです。これまで骨折等の外傷とは無縁だったのですが、人生初だらけです。
医師がレントゲンを見て、骨に明確な異常がないことを確認してからようやく頸椎カラーが取れました。

その後、医師が、「横転している場合、内臓を損傷している可能性がある。血液検査をすれば損傷の有無が分かる」と言ったので、血液検査をしました。
その検査結果が出るのに1時間ほどかかりましたが、特に異常はないとのことで、医師が「もし今後痛みが続くようでしたらお近くの整形外科に通院してください」と言って、この病院での治療は終了しました。

医師に診断書の作成をお願いしました。警察に人身事故として届けるために必要です。
沖縄県に住んでいるのであれば、後日に診断書を作ってもらうことも容易ですが、旅行先などで病院に行った場合、後日診断書を作ってもらうことは容易ではないので、必ずその場で作る必要があります(後日談ですが、この日撮影したレントゲンもその日にCDにして持って帰っていれば後の治療や手続が楽でした)。

会計に行きましたが、この日は平日ではなく、まだ加害者側の保険会社が対応できない状態でした。
会計が約5万円(だったと思います)と言われ、「高いな」と思うと同時に「さて、そんな持ち合わせはないぞ」と頭を抱えていたら、それを見かねた親切な病院スタッフが、「交通事故ですから、本日は、お会計はいただきません。ただ、週明けに保険会社の対応がどうなるか必ず連絡をください」と言って下さり、その場の会計支払は免除されました。

事故が13時10分頃で、病院を出たのが15時30分頃だったと思います。

 

4 再び事故現場へ

事故車が電線に引っかかっていた関係でレッカー移動が困難らしく、病院で会計を済ませた時点で、まだAさんが事故現場で事故対応をしていました。
そこで、私はタクシーに乗って事故現場に舞い戻りました。その時にはすでに加害者の方々は現場を去っていました。

雨は止んでおり、冒頭でお見せした事故車の写真を撮りました。
ようやくレッカー処理が終わり、Aさんが知り合いに電話をしてその方に現場まで迎えに来てもらいました。
次に、Aさんが先ほど私が行った病院で診察を受けることになり、病院に向けて出発しました。
この時すでに18時を過ぎていたと思います。

 

5 再び病院へ

Aさんが病院で治療を受けました。
私と同様、血液検査をしたのですが、夜間のためか結果が出るのにとても時間がかかり、病院を出たのが21時か22時頃でした。

 

6 警察署へ

私は神戸に住んでおり、もともと事故の翌日に沖縄から神戸に戻る予定でした。そのため、事故処理に必要な手続きはそれまでに済ませなければなりません。
そこで、人身事故用の診断書を携えて病院から警察署に行きました。

診断書は原本を警察に提出するので、警察署に行く前に寄ったコンビニでコピーを取ります。
人生初、被害者として警察に行きました。

交通課の人が被害者供述調書を作成してくれました。
刑事事件で加害者に対する処罰感情は、

・厳重処分を求める

・適正な処罰を求める

・今回のことは許す

という3段階あります。
処罰感情が大きければ、加害者の刑事処分が重くなる可能性があります。

私は、「厳重処罰を求める」にしたかったのですが、なぜか交通事故の被害者供述調書の欄には「適正な処罰を求める」「今回のことは許す」の二つのチェック欄しかありませんでした。
時間も押していたのでここで揉めても仕方ないと思い、「適正な処罰を求める」の欄にチェックをしました。
診断書も提出し、警察ですべきことを終えて、帰路につきました。

 

7 長かった1日の終わり・・・

ホテルに戻ったのが深夜1時頃でした。
Aさんとやるせない気持ちをビールで紛らわします。
事故にあってからすでに12時間を超えていました。

翌日、那覇空港から無事に神戸に帰りましたが、次は病院とのトラブルが待っていたのでした。

 

 

弁護士坪井俊郎の交通事故体験記⑥~紛争処理センターで最終解決~

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